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Heart&Hand

楽しく、焦らず、ありのままに。

課題だけど、課題じゃない。

早速だが落ち着かん。
見つけた課題もやはり語りたい。
…まったくねぇ。しょうがないねぇ。。


ところで、
「自分の思考は自分のもの。」である。

が、私は他者の心の動き方や物事の感じ方にまで「それ違う」と思う傾向がある。
どんな進み方や感じ方をするかなんて、まさに人それぞれの極みだろうとわかってるはずなのに。

ある人が自分自身と向き合った。
その時気づいたこと、その気づきまでの諸々の出来事、想い。
…そのプロセスの中にある感情にまで「それちゃうわ!」と怒っていた。
指摘されてハッキリと自覚した。
うわー支配的だ。と我ながら思う。

ただその怒りの中身は「私のことは私が決める」
なんだと、先生のシェアにより気づく。
その部分を少しでも他者に触られると(私自身がそう勝手に思い込むと)「やめいっ!」と過剰反応。

しかしである。
自分の思考は自分のものであるように、誰かの思考はその人のものなのだ。

例えば、人との関わり方を考える時、自分の思考がどんな目的でどう相手に向かうのか。とか、その思考が自分や相手を傷つけることになっていた。…などというエピソードに対し、反射的に「どう考えるかとか、傷つくかどうかは自分自身が決めるから!」てな捉え方をし、相手に「それ違う」と言う私は、自分と他者の思考を混合している矛盾星人だ。
私の心の中に進入されてる訳ではないのだよ。ホント落ち着け奥さん。
誰かのエピソードの中の「私」に見えた「何か」は実際の私ではない。
いつだって私のことは私が決めてるでしょうに。
そういう気づきは痛い。
「うわぁぁ。」となり、課題だ!反省だ!が私のパターン。
でも、別の見方をすればその一連の流れは私らしさの部分でもあるのだよね。
あることに対して違和感を覚えるアンテナを持っているという。

あと、私のそういうドタバタ思考を面白いと言ってくれる人たちがいる。
違いはきちんと伝えながらも、私らしさだとそのままに理解を示してくれる。

私は、トレーニングの会で集まる仲間たちをそして私自身を信頼しているから、思ったままに様々なことを出していける。
あの場でのやり取りがあるから普段の生活や仕事の中で、選択肢が増え助けられている。
嬉しいし、ありがたい。
とても貴重な場所であり存在なのだ。