Heart&Hand

楽しく、焦らず、ありのままに。

どれも必要ではあるのです。

ヒプノセラピー講座の日。

内心ネガティブ思考炸裂。

私は面倒くさがりだし、不真面目である。
勉強は嫌いだし、物覚えも悪い。
常に「できない〜無理〜」と叫んでいたい。
でも、できる人でいたいとか、かっこいい私でいたいなんていう見栄っ張りな部分がある。
言い訳したいけど言い訳したくない。
理想と現実のギャップにうなだれる。

理想をもつことは悪くない。
それが幸せにつながることならば。
それでも元々の性質とか向き不向きってものや、気力や体力ままならない時だってある。
けど私の中の厳しい私は変わらず思う。

  • 仕事は誠実に絶対に間違わないように。
  • 学びはきちんと真面目に完璧に。
  • 他者から受ける全てのもの、知識、時間、愛、金銭とか、それらには全力で誠実に。
  • 選んだこと、望んでやっていることに言い訳しない。言い訳は相手に失礼だ。

……ど正論。ど直球。
それはもう形式美のようになっていて、崩す事は罪みたいに感じている。
そこが問題。
まったくねぇ。。
心の中は汚部屋だと自称する人間が形式美を語る矛盾。
が、人というのはギャップや矛盾の塊だ。
ギャップや矛盾だらけの私を嫌いだ…とは、最近それほど思わない。というよりそう思うとすぐさま己にツッコミをいれるシステムが出来上がっている。

そもそも長い間私を守るために頑張ってきた思考ではある。
が、今なおその思考と共に生きようとする私の一部にこう呟く。
「諦めなされ。できないことはできないで今は良し。」

誰のために何のためにやっている?
自分のためなんだよね、結局は。
まずは自分が楽しみたいし、面白がりたいし、自分が好きでいたい。
それが結果的に誰かを同じように楽しませることになればいいと考えてるし、そんな私でいることがきっと一番心地よいのだ。

諦めの中に真実、というかまた違った面があり、それが安らぎや面白さを運んでくると知るこの頃。

…と、ここまで心の中のザワザワとの対話。
とてもメンドくさい奴である。


講座では、気持ちが通じるありがたさなど感じつつ長年の思い違いに気づけた。
自分を信じる姿勢も学ぶ。
それは仕事というか、人との関わり方に対しての大きなヒント。
ありがたい。

頑張ろう。
私のペースで。