心の中での話し合い。
時々卑屈になったり、自分にガッカリするなぁと思うことがある。
よく考えれば、(いや、考えなくてもだ)なぜそうなる⁉︎と己にツッコミを入れたいが、このパターンに入ると「自分、無知ですから。」とか、「自分、育ちが悪いですから。」などでエンドとなるストーリーが頭の中でループする。
でも無知はともかく、育ちとか変えられないことを理由に自分叩きはもうやめようよ。で、これから出来ることをやろうよ。と、自分を励ますのだが、ある時「それはなんのために?誰のために?」との心の問いかけがあった。
反射的に「人にあれこれ思われたり、言われないため。」と浮かぶ。
えー。それだと自分のためにするのか、人のためなのか微妙なとこじゃない?
…言いかえよう。
「自分を好きでいるため。」
これならまぁよし。
って、これでいいのはいいんだけど、なぜこんなやりとりを心の中ですることになったんだと振り返ってみた。
ことの発端はちょっとした違和感から。
その時に、私、揚げ足取りされてるのか?なんか変なこと言ったかな?と、思った。
で、謎の弱気卑屈モードとなり負のループ突入と相成ったわけだ。
それにしても、この感覚は覚えがある。
なんだっけと考えてたら、昔味わったことのあるやつだ!と気づく。
かつて、自分がドキドキしながらもやる気を出して、楽しく一所懸命に面白がるぞーとやっているところへ、いいわねぇと笑顔で近づいてきた人たちがいた。
そうなの!と、こちらもニコニコしていた。
なのに気づけば相手は笑顔の裏で私の言動を否定し、楽しさ、やる気を奪っていった。笑顔のままで。
あの時は悲しかった。傷つき、とても怖かったし、ひどいと思った。
それでも。
今はわかる。
自分の感情は自分が作り出している。
あと、かつての悲しさと今の違和感は似てるようだけど全然違う。
実際に起きたことと妄想をごちゃまぜにしてるわけだ。
そうして相手に確認することもなく勝手に妄想して揚げ足とか、変とか、とにかく自分の中の「負」というスイッチを自ら押している。
違うスイッチもたくさんあるというのに。
私は今、ビクビクオドオドしながらいろんなことに取り組んでいる。
怖くて仕方ないんだが、その中で頑張れる要素、楽しめる要素を見つけようとしている。
この場合の「怖い」の主成分は弱気で、自信のなさとか、失敗するに決まってるという思い込みからできている。
昔の私もビクビクオドオドしながら頑張っていた。
覚えがあった感覚というのは出来事ではなく心の状態。
たまたま似たような心理状態だったことで、些細な言葉や違和感が己の妄想の力により負の思い込み(謎の弱気卑屈モード)を発動させるトリガーとなってしまったんだな、きっと。
まったく、弱気の怖いが心を支配してしまうと厄介だなぁと思う。
が、弱気が悪で強気が善という訳ではない。
もちろんその逆が正解な訳でもない。
どちらかだけしか持たない人もいない。
誰もが強気も弱気も持っていて、抱えている何かにより比重も変わるだろうし、皆、自分なりに折り合いをつけて日々暮らしているんだろう。
そんなことを考えているうちに、自分叩きをやめようと励ますよりも、自分が今、結構頑張ってるんだなぁとまず先に気づいてあげたかったなぁと思った。
無意識の私は自分を好きでいたいし、そのために日々努力している。
だから、人様がどう受け止めるかに重点を置くことよりも、まずは私のために私の望むことを意識していこう。
心の中のオモイコンダラ星人の私はマジで手強い。
だけど負けない。
負けないぞー。がおー!