Heart&Hand

楽しく、焦らず、ありのままに。

お疲れにゃん

母の送迎を請け負った。
「請け負う」と言ってしまう時点でお察しなのだが、まぁいろいろ親子とはいえあるわけで。

しかし、今回は自分がそうしようと決めたことなのだ。
心穏やかに過ごせるよう祈りつつ家を出発した。

途中、ちびっ子の私がふくれっ面してるのを感じながらも用事を済ませ帰宅。

家に帰ってホッとしたからか、「も少し思いやりを持ち接すればいいのに。」
などと「普通」を愛する私の厳しい押し付けがムクムク登場しだし、疲労感増し増し状態となる。
全く、この「普通」ほど厄介なものはない。
なんだかちっともわからないが、今の状態ではないはずだとジワジワ圧をかけてくる。

今の状態が最善なんだよ。もう。。
と、ふて寝を決め込むと「俺様も寝る」と猫がスッと側に来てくれた。
癒しのかたまりさん、ありがとう。

私はできることをよくやった。
それだけでよいのだ。

https://www.instagram.com/p/BRk0lrDBUUF/
今日の3good 。よく頑張った。おやつ美味しい。ニャーコ先生が今日も可愛い。

感情を味わう

人を思いやるフリをして、さりげなく自分の不満を織り交ぜて話をされ悲しかった。

直後、反射的に相手や自分の立場とか、いろいろストーリーをこさえてごちゃごちゃ考えてしまいそうになったけど、「それちがうわ。」と。
「悲しい」という私をそのまま悲しませてあげよう。と、思った。


https://www.instagram.com/p/BRaqNmZhr-8/
今日の3good 。素敵なお店を見つけた。塩パン美味しい。好きなことで人を励ます様を見た。

違いをいとおしむこと

https://www.instagram.com/p/BRVVcz4h2Ni/
人との関わりで傷ついた心を慰め励まし勇気をくれるのも人との関わり。今日の3good 。ある動画に考えさせられる。まずは自分とあらためて思う。猫たちにも癒しをもらう

頑張る人にいつも励まされる。
けれど、ちょっと無理しすぎじゃない?とか、何か別の方法があるんじゃない?とか、時に考え込んでしまう時がある。
それはその対象である人が(私には)弱ってみえると認識した時に発動することが多い気がする。
他者の問題を自分の問題にすり替えてしまう瞬間。
その支配的な自分は「幼児的万能感」からきている。

幼児的万能感とは
自分はなんでもできる。
何にでもなれる。
そんな感覚。

希望や願いや夢は心に喜びを運ぶものではあるけれど、それは魔法のようにパッと叶ったり、待っていたら誰が目の前に用意してくれるものではない。
…と、成長していくにつれ、だんだん理解して大人になる。
「そんな事はわかってる!」と大人の私は思うが、この幼児的万能感を持つ私も今なお存在していることは間違いない。
しかも今はそれが自分にではなく、他者に向くのがパターン。
人を変えたいと思うことも、なんでも自分のせいだと考えることも、「なんでもできる私は人の思考や反応もコントロールできる」と思っている幼児的万能感があるからこそだ。

皆自分のことは自分が選択している。
葛藤に苦しみながらも自分なりのやり方で。
それは特別なことではなく皆におこること。
自分自身にも日々起こっていること。


今日、頑張る人が選択したものを見る機会があった。
私にはその人は傷つき疲れボロボロで無理をしているように見えていた。

それでいいの?大丈夫?とザワザワする心の中の私を「よしよし」となだめた。
その傷は私のものではないし、誰かに治してもらうものでもないよ。
無理とか大丈夫とか決めつけてはいけない。
…そんな事を考えながら。
そして画面の向こうのその人に「私も頑張る。」と呟いた。

本質と可笑しみ

トレーニングの会へ行く。

2月も楽しいことやシンドイ事が皆たくさんあった。
そう、それぞれが日常を精一杯生きている。


欲しいものは「洞察力とユーモア」とある時から強く思うようになった。
自分自身が常にギリギリで助けとなる何かを探し渇望していた時期。
でもその頃は心の中に存在するいろんな私の一人「自分が全て悪い」説を唱えるものがメインとなり考えていたようで、自分が今の状況を笑い飛ばせさえすれば、それで丸く収まるのだ的な考えが潜んでいたように感じる。

日々の出来事に「洞察力とユーモア」が必要なのは、「自分NO」を強化するためではなく、「私もあなたもOK」のためだと今は思っている。

厳しい状況の中でさえ物事の本質を見つめつつもユーモアを感じさせる人達に私は励まされる。
そこに訳の分からん激しいマウント取りみたいなものはない。
互いに笑い涙する。
敬意とか尊敬とか信頼がただ静かにあるだけ。
だから自分もそうありたいと思うのだ。

ここのところ、ひとそれぞれの物事の捉え方、感じ方、落とし所みたいなものの様々な違いがとても面白いし、それを知りたい。

「洞察力とユーモア」というキーワードは私に必要だった。
なので、それを望んだあの頃の自分、ダメ出ししたいトコもなくはないが(笑)ともかくグッジョブやで。と、とてもとても思っている。


つねにマジで生きる。ユーモアの塊のひとたち。
https://www.instagram.com/p/BRLhPY3hTp0/